一果に想いをのせて。いつまでも、楽しく、おいしく味わってもらいたい。

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一果に想いをのせて。いつまでも、楽しく、おいしく味わってもらいたい。

かきすき会(須田喜代子さん、金子惇子さん、北澤みゆきさん)

生まれ故郷はそれぞれですが、縁あって相生の農家に嫁いだみなさん。近所だったこともあり、農閑期になればみんなで揃って旅行に出かけたりするなど、ずっと仲良しだといいます。

そして今から約30年前、山形県内で開催されたセミナーへの参加を機に、金子惇子さん、北澤みゆきさん、須田喜代子さん、故・北澤ミネさんの4人の頭文字から取って「かきすき会」を結成し、かみのやま特産の紅干柿の消費を高めることを目標に活動をはじめました。

なぜ、かきすき会をはじめたのでしょうか

きっかけは、山形県主催で1998年に開催された洋上セミナーです。当時、県内で活動する女性の活躍を、みんなで共有しようという動きが盛んだったのです。私たちはかみのやまの相生地域に嫁いで来た仲良しグループだったのですが、「そんなセミナーがあるなら試しに参加してみようか」と言い出しっぺの金子さんの元、“干し柿のプロ”として、作り方などについてレクチャーしようと会を結成しました。セミナーでの発表は功を奏し、驚くほど参加者の方からの反響がありました。「硬くなったらどうするの」や「他のアレンジはないのか」という質問が多く寄せられたので、それならもっと紅干柿を味わってほしいなと、様々なレシピを考えるようになったのです。

その後の活動について教えてください。

活動と言うより、私たちにとっては旅行仲間の延長ですよ。トルコ、フランス、カンボジアなど、一緒に行った旅行先で干し柿に応用できそうな料理を発見しては、顔を見合わせて「なにか作れそうだね」とか、そんなノリ。お茶のみの時にアイデアを持ち寄っては、ああでもない、こうでもないなんて言いながら、にぎやかに楽しんでいます。干し柿をPRする人はその頃は少なかったから、テレビや新聞など、いろんなメディアから取材を受けるようになりました。そうすると、地域の小学校などからも声がかかり、食育などの目的で干し柿を提供したり食べ方を伝えたりするようになりましたね。

とても楽しかったですよ。メンバーは基本的に農業を営んでいますから、かきすき会として活動できるのは冬のほんの合間だけ。その間に声がかかれば色んなメディアに出演し、紅干柿のPRに努めました。上山市が発行した郷土料理本「おらえのごっつぉ」※も、紅干柿料理のレパートリーを増やすきっかけになったかも知れません。

でも、新型コロナウイルス感染症の拡大で私たちの活動は止まってしまった。歳を重ねたこともあって、今は見守るような気持ちでかみのやまの干し柿文化を眺めています。

そもそも紅干柿は、相生地区の産業だったのでしょうか

紅柿の歴史は古く、300余年前から「関根柿」として生産されてきたといいます。日本には1000種程の柿がありますが、紅柿はこの地域原産で、中でも渋みが強い品種です。その渋みこそが干した時の濃厚な甘味に変わることから特に高価で取引されていたようです。相生地域の農家が、柿を干すための鉄製の「はせ場(柿を吊るして干すための設備)」を作り、紅柿を計画的に生産するようになったことで広く知られるようになりました。

今後、産業化の可能性は

紅干柿は、暖簾のように吊り下げる作り方が一般的です。様々な場面で「風物詩」として取り上げられていますが、このやり方では、縄に結う、また高所に吊るすという作業が強いられ全く合理化が図れないのです。全国の干し柿産地を見れば、柿の皮を剥いてそのままハウスで乾かすなど、簡単な作業で出荷されています。保存状態も良好で、年間通して干し柿を販売するような地域もあるのですが、かみのやまのそれは合理的でないところに付加価値を見出しています。

最近では温暖化も話題に上がりますが、ここ十年で地域の積算温度は上がりました。ある程度の低い温度が保てなければ、すぐに品質が悪くなってしまう。もちろん、私たちは気象現象に勝つことはできません。一方で、干し柿を一つひとつをたわしで磨き、白い粉を吹かせるなど繊細かつ手間がかかる作業もあり、高齢化や人手不足が進んでいる中で干し柿生産は年々衰えています。このままでは、産業として先細りし、紅干柿という特産品の産地を失うことにならないかと心配になる部分もあります。

また、かみのやまが位置する地形は、大きく見ると奥羽山脈と朝日連峰の谷底にありますが、そこに拓けたこの相生地域には蔵王からの東風「蔵王おろし」だけでは無く、乾いた冷たい西風の吹き込みがあるように感じます。農家の肌感ではなく、きちんと研究をすることで、吊るし干しの製法よりも地場にあった有効な手段が見つかればいいな、と思います。 常々、「なんとかしていかないとなぁ」と考えながらも、後進の知恵と力に期待かな。

今後かみのやまにどう関わっていきたいですか

嫁いできた頃は、国内旅行ブームに乗り、街中には人が溢れかえっていました。あの光景がもう一度見たい。そのためにもどんどん新しいもの、新しい人が育つまちになって欲しいと思います。気軽に、数多く美術や図書などに触れられる場所をたくさん設けてもらって、文化や知識が育つ場所にもなったらいいですね。

私たちはというと、実は自分たちのことで精一杯。人生に楽しいことを足していくから、知らないうちにどんどん忙しくなって(笑)。その合間に、大好きな紅干柿を囲みながら、かきすき会の活動もワイワイできたらいいなぁ。

※「おらえのごっつぉ」=平成15年度から5年間開催された上山市食の祭典「我が家のご馳走(おらえのごっつぉ)」に出品、紹介された料理の中から、先人の知恵である郷土料理や伝統食、地域独自の食文化を持つ行事食を選び、本にまとめたもの。市内小中学校や保育園、図書館、地区公民館に設置。

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