生まれ故郷の景観を次代に繋ぐのが私の目標です。

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IMAGINE-今人-

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生まれ故郷の景観を次代に繋ぐのが私の目標です。

酒井信一郎さん(城下町再生志士隊 隊長)

東京で建築士として働いていた酒井さんは、30歳を前にこのまちへ戻ってきました。そして、趣味の建築巡りに併せ、県内外でさまざまな都市の景観を見て回った後に、市民有志の団体である「城下町再生志士隊」に所属。古き良き街なみの補完と創出のため、建築や都市の景観美の観点から、地域おこしの糸口を探っています。

なぜ城下町再生志士隊に参加したのですか

進学を機に上京し、社会人になってからはずっと建築畑で過ごしていた私は、今から約40年前にかみのやまへと戻ってきました。東京でずっと働くつもりも無く、むしろ仕事を通じて地元に貢献できることもあるだろうと思ったのがきっかけでした。
その後しばらくして、路上に隠れた建物や看板、貼紙などを観察する「路上観察学会」のみなさんと県内市町村を廻る企画が山形県主催で開催され、赤瀬川原平さんや藤森照信さんたちに一週間ほど同行しました。それはもう驚きの連続で、何気ないまちの風景が、人々の想いや工夫で溢れていることに気付かされましたね。
それから私も独自に「山形路上観察倶楽部」をつくり、しばらくの間、県内外のたくさんの街を見て廻りました。半分は趣味で、半分は仕事の延長でしたが、古い街なみが持つ素晴らしさについて認識するに至ったのです。 ちょうどそんな時、かみのやまで「城下町再生志士隊」の話が持ち上がり、もしかしたら私の経験を活かせるかも知れないと思い参加することにしました。

城下町再生志士隊では、どんなことをされたのでしょうか。

平成17年にスタートした志士隊は、建築士の私をはじめ、造園業や塗装業、左官業に一般的な会社員など、多様な業種のメンバーで構成されました。主な活動と言えば、城下町の風情を醸すような板塀の整備。最初に手掛けたのは月岡ホテルさんの板塀で、私はそこに楢下宿や眼鏡橋、競馬場に加勢鳥など、参勤交代の時代から現代まで続くこのまちのストーリーを描きましたが、無事に完成を迎えると予想以上の反響がありました。観光客含め、市外からの見学者が多く見受けられたのです。
その後も、お願いされる度に整備しましたが、武家屋敷通りの板塀整備がひと段落する頃には、まちの景観が明らかに変わってきていると感じられました。同時に、志士隊の活動を行うことで、より一層の愛着をかみのやまに感じるようになった自分自身に気づいたのです。

やりがいはどんな時に感じるのでしょう。

志士隊は、それぞれに普段は別の仕事に従事している、決して板塀施工のプロ集団とは言えない集まりなのに、これまで普通に活動して成果を出せていること自体に、大きなやりがいを感じています。また、志士隊への参加がきっかけとなり、私はまちのことをもっと知りたくなりました。「踊り山車」にも関わるようになりましたが、いざ携わってみたらこの山車行列が想像以上におもしろくて。絢爛豪華な山車では無いけれど、実は芸者さんを乗せて雅さを演出したり、どんな急な坂道でも人力だけで数百キロの山車を引いたりするなど、加勢鳥に並ぶくらいの奇祭だったのです。もし、志士隊に参加しなければ、こんな発見は無かったでしょう。
でも、本当に私がやりたいのは、まちにある古い建物の保存や修繕です。武家屋敷が4軒並んで現存していることや、市街地に旧羽州街道が通っていて、未だに道幅が狭いことなどは、近代の都市開発を鑑みると奇跡に近いことなのです。かみのやまにはすばらしい建物が沢山あります。それらを補完していくことこそ、このまちの魅力度をより高めてくれると私は信じています。

多くの人にそのことを知ってもらいたいと、まちに現存している、もしくはかつてあったすばらしい建物をスケッチとして起こしては、文章とともに「月刊かみのやま」というタウン誌に寄稿していました。老舗旅館の「山城屋」や「よね本」、理容室の「はせがわ」に金物屋の「清水屋」など、大正期から昭和初期に建てられた建物のスケッチをね。
ヨーロッパで田舎の小さな地方都市が成立しているのはなぜかを考えると、やはり時代を経ても良い建築物を大切にするという文化が下支えになっていると考えられます。新しい施設を建てるのは簡単ですが、その地域に昔からあった良き建築物が持つ魅力には到底敵わない。それらを利活用してこそ、地方都市それぞれが持つ個性を、魅力として外に向かって発信できるのだと思います。また、それは住人に対しても、まちの誇りとして再認識することに繋がると思うのです。そのためにも、今後も建築物や板塀の補完や整備を行い、まちの景観を守る活動を続けていきたいと考えています。

あらためて、かみのやまに思うことをお伝えください。

かみのやまに戻ってきて既に30年。さまざまな活動をする傍らで、近所の神社の氏子も務めたり、地元の「金生田植え踊り」にも関わったりするようになりました。地域のことを理解してくると、若い頃は見向きもしなかった伝統や文化が未来永劫残って欲しいと思えるようになるものです。
私が今願うのは、かみのやまは今の街なみや文化を残しながら、さらに成熟したまちになって欲しいということ。地域への愛着という、言葉に収まるような薄っぺらな気持ちでは無く、形容し難いもっと深い感情です。私にとって、かみのやまはとても大事なまちですから、このまちの景観を保ったまま次の世代へバトンを渡せれば最高ですね。

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