このまちで、誰かの夢を後押しする存在に。

#013

IMAGINE-今人-

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このまちで、誰かの夢を後押しする存在に。

斎藤さゆりさん(Sayuri Saito/ごりらのすみ家・ゴリー

結婚を機に、かみのやまへ移住した斎藤さゆりさん。地域とは希薄した無関心な日々が続いていましたが、ある時を境に興味が芽生えたそうです。そして、誘われるままに参加したマルシェにゴリラの姿で参加したことが、斎藤さんとまちとの距離を急速に縮めました。

ゴリー誕生のきっかけ

およそ10年間、私にとってかみのやまは、住んではいるけれど何となく〝縁遠い地域〟でした。子どもが3人おり、地域の子ども会行事などに参加することはありましたが、休日は山形市内や県外へ出かけて過ごすことが多く、かみのやまで開催されているイベントなどに足を運ぶことはほとんどありませんでした。

そんな私の意識が変わり始めたのは、実家の母が長年あたためていた「そば屋をやりたい」という夢が、かみのやまで叶ったときです。オープンに向けて、NPO法人かみのやまランドバンクさんが物件探しから改修、クラウドファンディングのサポートまで、きめ細やかに伴走してくださり、市の職員のみなさんや地域のみなさんも一緒になって母を支えてくれました。私はその光景を傍で見ながら、「このまちには、誰かの挑戦を応援する空気があるんだ!」と感じたのです。

人との距離が自然と近く、行政と民間、地域のみなさんが同じ方向を向いて動く――。
その空気感に触れたとき、私のなかでかみのやまが、ただ生活する場所から「とてもあたたかく、支えながら前進していくまち」へと変わりましたね。

母のそば屋の立ち上げに一緒に関わる中で、まちづくりに興味を持ち始めていたところ、駅前の活性化に向けて開催されていたマルシェの主催者の方から、「マルシェに出てみない?」と声をかけていただき、思い切って出展を決めました。
内容は、家で子どもたちと遊んでいたボードゲームを使ったゲームコーナー。でも、恥ずかしさもあって、顔を出して参加することに少し抵抗がありました。解決の糸口として選んだのが、ずっと気になっていたゴリラの着ぐるみです。

昔から、なぜかゴリラに惹かれる自分がいたんですよ。そして、数年前我が家にやってきたゴリラのぬいぐるみに「ゴリー」という名前をつけていたことを理由に、自身が変身するゴリラにもその名前を受け継ぐことにしました。

ゴリラの着ぐるみ。まちの人々はどんな反応でしたか

マルシェの当日、「ゴリー」として会場に立った私。それは、ただ顔を隠すためだけの行為のつもりだったのですが予想外のことが起きました。お客さんよりも、まず出店しているみなさんが私に声をかけてくれたのです。「誰が入っているの?」、「なんでゴリラなの?」と、ゴリラの姿をきっかけに笑いが生まれて会話も弾み、初対面のはずなのに一気に仲良くなりました。着ぐるみの力って、本当にすごい。

お客さんたちもゴリラがいるとは思わないので、「うわぁっ!」と驚いたり、小さなお子さんは泣いてしまったり…。はじめはドキドキしましたが、別のマルシェで何度かお会いするうちに、「あ、またあのゴリラがいる」と手を振ってくれたり、「ゴリラがいると楽しいね」と笑顔を見せてくれたりするお客さんの姿に触れ、少しは場を盛り上げられているのではないかと感じました。そうしてゴリラとして過ごす時間も、次第に楽しくなっていったのです。ありがたいことに、かみのやまで開催されるマルシェの主催者の方から声をかけていただく機会も増え、私は「どこかの会場に現れるゴリラ」としての活動を広げていくことになりました。

その後どう広がっていったのです

おもしろい広がりが起きたのは、“ゴリー”がひとりでは無くなったとき。地域おこし協力隊の隊員やマルシェの出展者さん、市外に住む私の同級生が加わってくれて、ゴリラは黒、ピンク、緑、紫の4匹になりました。

その後は、ゴリラをテーマにしたマルシェを開催したり、ダンスを踊ってSNSで配信したり、まちの方々とつながりながらいろいろなコラボ企画に挑戦しています。本格的な楽器を貸していただいてイベント会場を練り歩く「ゆかいな仲間たちのチンドン屋」もスタートしました。まちを元気にしたいという同じ想いの方々と一緒に活動しながら、来場されたみなさんと一緒に楽しめることがとても嬉しく、こんな経験ができるのは、かみのやまだからこそではないかと思っています。

活動の原動力はどこにあるのでしょうか

私の中には、ずっと「遊びが好きだった自分」がいます。子どもの頃はゲーム機を持たなかったため、自分で遊びを考え、工夫しながら夢中になっていました。あの頃のワクワク感が、今の活動のベースにあると思います。そして、このまちには「こういうの、やってみたいな」と思うと、気づけば「一緒にやろうよ」と手を差し伸べてくれる人がたくさんいます。逆に、誰かが楽しそうなことを始めれば、私も一緒に巻き込まれていく。そのつながりこそが原動力なのかもしれません。

そして何より、活動を支えてくれているのは家族の理解ですね。普通なら思春期の子どもに「お母さんがゴリラなんて恥ずかしい」と言われてもおかしくないのに、子どもたちも夫も、一緒に楽しんでくれます。時には一緒にイベントに参加してくれることも。「次はどこでゴリラするの?」なんて言葉が日常になっていることが本当にありがたく、続けることができる理由になっています。

あらためて、斎藤さんにとってのかみのやまとは

あらためて考えると、かみのやまは〝夢が育っていく場所〟だと思います。大げさなことではなくて、ほんの小さな「やってみたい」という気持ちが、そのまま小さな芽として息づいていくことができるような土壌が、このまちにはあると思うのです。母の夢がここで叶ったこと。そして私自身も、まさかゴリラの着ぐるみを着て、こんなふうに地域の人たちと関わり、笑い合いながら活動するようになるとは想像もしていませんでした。

かみのやまは、人と人の距離がとても近いまちです。職場や立場が違っても、みんなが同じ方向に向かって「おもしろいね、やってみようよ」と言ってくれる。その空気が私の背中を押し続けてくれました。

そして何より、このまちには「自分が変わるきっかけ」があちらこちらに転がっています。私も気がつけば市役所の会議室にいたり、新しい企画に巻き込まれたり、ゴリラ仲間が自然と増えていたり。まちの人たちの自然体な優しさが、私の世界をどんどん広げてくれました。このまちで暮らす人たちが「かみのやまっていいよね」と思ってくれたらうれしいし、外から来た人にも、このまちの温度を感じてもらいたい。ゴリラとしての活動が、その小さなお手伝いになればいいなと思っています。

それからもうひとつ、私には大きな夢があります。それはいつか、上山城でゴリラサミットを開くことです。

実は、他の地域にも私のようにゴリラの着ぐるみを着て活動している方がいます。そのようなゴリラたちが、全国からかみのやまに集まって、このまちの魅力を紹介したり、それぞれの地域の魅力や活動を語り合ったりする。そんな場ができたらおもしろいだろうなと。そうすれば、まだ見たことのない新しい景色が生まれると思うのです。

私はこのまちが好きです。そしてこれからも、かみのやまで自分自身の“楽しさ”を更新しながら、誰かの夢の最初の一歩を、一緒に応援していきたいと思っています。

ごりらのすみ家instagramhttps://www.instagram.com/gorilla_no_sumika/
 

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